【エッセイ】おかねとじかんのお話

 

今朝ニュースで自殺による経済的損失は4594億円だと言っていた。

自殺した人が生きていれば得られていた生涯年収の推計らしい。

「4594億円という損失額を明示することで、

自殺をなくさなければと思ってもらえるようにした」

そうコメントしている人テレビの中の人は

何も可笑しいことなんぞ言っていません

という顔をしている。

この人のコメントは、

「その人が生きれていれば、4594億円生み出されたのにもったいない」

そう言っているのと同じ。

 

でも、その人が生きる意味は、4594億円を生み出すことにあるのだろうか。

            f:id:iimono-to-kurasou:20170324101758j:plain

 

私も社会人になって、時間をお金に置き換えて考えるようになった。

特に平日に休みを取るときになんか、

「今日・・・・円もらえるはずだったのに、自ら・・・・円手放した。」

そうを思う。

時間をお金に置き換えて考えてしまう。

結局は私もニュースの中の人と同じなんだろう。

 

本当はお金は一つの指標にしか過ぎない。

でも悔しいほど、お金は解りやすい

だから、つい他にも指標があることを忘れてしまう。

お金は、人が生活の中で常に使っている指標

しかも物々交換で生活を成り立たせている地域を除けば、世界共通の指標

言葉よりも簡単に地域ごとの違いを乗り越えて、世界共通の指標となる

人に使われる指標

 

時間はお金に換えられない価値があるというのは簡単

きっと本当はそうなんだろう

でも、時間の価値を人に伝えるお金以外の指標を提示できなければ

時間はこれからもずっとお金に置き換えて考えられるのだろう。

 

 

お金に変わる指標ないかなあ。