【エッセイ】おかねとじかんのお話
今朝ニュースで自殺による経済的損失は4594億円だと言っていた。
自殺した人が生きていれば得られていた生涯年収の推計らしい。
「4594億円という損失額を明示することで、
自殺をなくさなければと思ってもらえるようにした」
そうコメントしている人テレビの中の人は
何も可笑しいことなんぞ言っていません
という顔をしている。
この人のコメントは、
「その人が生きれていれば、4594億円生み出されたのにもったいない」
そう言っているのと同じ。
でも、その人が生きる意味は、4594億円を生み出すことにあるのだろうか。
私も社会人になって、時間をお金に置き換えて考えるようになった。
特に平日に休みを取るときになんか、
「今日・・・・円もらえるはずだったのに、自ら・・・・円手放した。」
そうを思う。
時間をお金に置き換えて考えてしまう。
結局は私もニュースの中の人と同じなんだろう。
本当はお金は一つの指標にしか過ぎない。
でも悔しいほど、お金は解りやすい
だから、つい他にも指標があることを忘れてしまう。
お金は、人が生活の中で常に使っている指標
しかも物々交換で生活を成り立たせている地域を除けば、世界共通の指標
言葉よりも簡単に地域ごとの違いを乗り越えて、世界共通の指標となる
人に使われる指標
時間はお金に換えられない価値があるというのは簡単
きっと本当はそうなんだろう
でも、時間の価値を人に伝えるお金以外の指標を提示できなければ
時間はこれからもずっとお金に置き換えて考えられるのだろう。
お金に変わる指標ないかなあ。