【展示会】「ARS/NATURA ―「風景」の向こう側―」展@福岡県立美術館

 

仕事で福岡に来ている。

仕事が一区切りついたので、

1日おやすみをもらい一人で博多をふらりふらりしていた。

 

美術館が好き。

日常の時間の流れから、ちょっと外れることができる場所。

丁寧な時間を過ごせる場所。

自分が感じたことが全て、

正しいも間違いもない、ありのままの自分でいられる場所。

時間があると足を運びたくなる。

 

この日も、福岡県立美術館に立ち寄った。

「ARS/NATURA ―「風景」の向こう側―」展がやっていた。

宣伝ポスターに書かれていた淡い青や黄色の光のような絵に惹かれて足を運んだ。

 

入り口で圧倒された。

出口で地に足がつく感覚がした。

 

入り口では柴田高志さん(柴田高志 (@kai__iro) | Twitter)という方の

緻密で優しい有機体のようなものを描いた作品にただただ見入ってしまった。

(緻密さと優しさは両立するものなんだなあ。)

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展示の最終到着点にあったeitoさんの山小屋には30分ほど滞在した。

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外から見ていたら、「中に入れますよ。本があるので読めますよ」と、

本を読み終わって出てきたら、「作品に縫い付けていいですよ」と、

教えてもらった。

気がついたら、どっぷりちゃぽんとこの作品に浸かっていた。

eitoさんが染めた布でできた「山小屋」に

展示会へ来た人たちが何かを縫い付けていく。

袋が縫い付けてあったことが、とても何だか嬉しかった。

またそこに何かを入れられる。どんどん繋がって、いく。

そんな場所に思えた。

作品に縫い付けるものを作っていた時、機械音がなっていた。

プロジェクターの故障のよう。

「ずっとそういう作品なのだとばかり思っていた。」

美術員の方と、二人そう笑ってお話していた。

 

欠陥さえも表現だと思える、

美術館という空間をしみじみ好きだと思った。

久しぶりに地に足がつく感じがした。

 

終わり。

【モノ】波佐見焼 HASAMI ブロックマグ ビック

 

浅草で用事を済ますついでにつむぐりというカフェに立ち寄った。

cafetsumuguri.tumblr.com

 

天井まで突き抜けの木造の民家。オーナーが少しずつ改修しているそう。

私が訪れた際も二階は改修中とのことだった。

その日は雨が止む様子を見せないほどの大雨の日。

古民家ということもあり雨が降りしきる音を

久しぶりに、いやもしかしたら初めてかもしれないという程近く感じた。

コーヒーを頼むと鮮やかな色の、少し角ばったマグカップが出てきた。

威厳も繊細さも感じさせないただのマグカップ。

お店のメニューにはそのカップは波佐見焼というものだと書いてる。

伝統工芸品の波佐見焼サマサマという素ぶりの見せないマグカップだった。

伝統工芸品、憧れのものを意図せず不意に手にしてしまったがために率直な感想を抱いてしまう。

 

ただのマグカップだ。

 

でも、ここまで人気になった波佐見焼には何か私には気付き得ない魅力があるはず。

と思い調べると、

「特徴がないところが魅力」とさっぱりと自分の平凡さを認めている。

 

自分のことをよくわかっている。

その上でどうすべきか、考え、動く。

波佐見焼の関係者こそが波佐見焼の魅力なんだと思った。

これからも波佐見焼は残って行く、

そう思った。

 

【本】子どもが絵を描くとき(著者:磯部錦司)

 

「ハサミで自由に画用紙を切り取る」

「木片をかき集めて偶発的な形の中に意味を見出す」

「校庭にさく花を画用紙一杯に描く」

 

昔から何かを【創り出す】ことが好きだった。

型にとらわれず自由にゼロから構築していくことは快感だった。

なんとも言えない開放感があって

大人になってからもその快感をどこか求めていながら

何かしらの言い訳を見つけながら社会人になるまでやり過ごしてきた。

 

社会人になり、絵を描くようになった。

ずっとどこかで描きたいと思っていながら、

絵なんて私には描けないし、描くことを恥ずかしいと思っていた。

でも、絵を描きたいと思っていることにどこかで気がついていた。

 

人が絵を描く意味はなんなのだろうかという疑問がずっとあった。

そんなとき、「子どもが絵を描くとき(一藝社)」という本に出会った。

「自分の存在を確かめる営み」「環境との一体化において生まれる行為」

子どもが絵を描く意味を著者はこう述べている。

「描くことによって全身で環境と結びつき、その感覚を表そうとしている」

 

自分が【創り出す】ことをどこかでずっと求めて来た理由がなんとなくわかった気がした。

社会の「定型」に習っている自分が本当に感じていることは何か、

自分の中の本当をいつも探していた。

【創り出す】ことをしている自分には、社会の「定型」なんて関係がなかった。

【創り出す】ことを通して、自分の中を通して、

自分を取り囲む環境を認知し、そして自分の感覚を認知する。

認知する前に結論を出すことも多かった。

でも、認知する前に出す結論はは自分の一部にすらなれない。

それは、誰かの考えであって、私ではない。

そう思いながらも、「定型」にならっていた。

 

自分であって、自分じゃない。

そんなことをどこかで感じている人が、多い気がする。

描くという根源的な行為を通して、

自分が見つかるヒントをくれる本かもしれない。 

是非、ご一読を。

子どもが絵を描くとき

子どもが絵を描くとき

  • 作者: 磯部錦司
  • 出版社/メーカー: 一藝社
  • 発売日: 2006/04/04
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【お店】金子眼鏡

 

自分に似合う眼鏡を見つけることは、難しい。

自分の顔の特徴やその特徴にあった眼鏡がどれか知らずに

自分にあった眼鏡は見つけられない。

毎日鏡で見る自分の顔だけれど、

他の人と横に並んで1パーツずつ比較したことなんてないから

自分の顔の特徴でさえ、すぐには説明できない。

 

自分に似合う眼鏡を見つけることは、難しい、

そう思っていた。

 

金子眼鏡に行くとそんな悩みは不要だったことがわかった。

色んな眼鏡を手に取りかけていると、

さり気無く店員さんが私が手に取る眼鏡を確認しながら

そして鏡越しに私が眼鏡を掛ける様子を確認しながら

これはいかがでしょうかと途切れることなく眼鏡を勧めてくれる。

私の発言を丁寧に拾い上げながら商品を提案してくれる接客に

正直この人の勧めてくれる眼鏡を買いたいと思った。

 

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視力検査も今まで受けた中で一番丁寧だった。

一週間後に出来上がった眼鏡を取りに行くと、

実際に出来上がった眼鏡を掛けて見て、さらにフレームを微調整してくれた。

調整する前と後では掛け具合が全く違った。

 

家に帰り、封筒のようなものが袋に入っていたので開けてみると、

レンズの説明書に加えて店員さんからの小さなお手紙が入っていた。

 

いい買い物をした、

そういう後味が残る買い物だった。

 

※ 金子眼鏡株式会社 KANEKO OPTICAL CO.,LTD.

【カフェ】cafe清澄

 

日曜日の夕方、忙しさから少し余裕がなくなっている自分を緩めに

清澄白河のcafe清澄に出かけた。

 

 

cafe清澄には、軽やかなピアノの音楽が流れていて、

日々の雑踏を忘れさせてくれるようなゆったりとした時間が流れている。

一人の時間を過ごしに来ている人が多い。

家の居間でくつろいでいるような感覚になった。

 

朝6時に目覚ましをかけて、心を仕事だけに傾けて慌しく家を出て、

夜デロデロになって帰る、そんな日々が遠い昔に思える。

 

学生時代、語学留学中にロンドンのカフェでただ静かに時間を過ごすことをよくしていて、その時間を思い出した。

北欧風のカフェシナモンロールがとにかく美味しかった。

シナモンロールの表面にカラメルのようなものが塗られていて、

表面だけが少しパリッとする。

時折このシナモンロールが恋しくなる。

 

 その頃は余裕のない人をみて、あんなひとにはなりたくないと思っていた。

自分はそんな人間じゃない。そうおもいながら、生きていた。

 気がつけば自分も余裕のない人間になっていた。

自分でも驚くほど、心が狭くなっていた。

ロンドンにいたころの自分は、物理的にも精神的にも余裕があった。

学生の身分で、誰に咎められるわけでもなく、ただ息をしていた。

必死で毎日を、生きている人をみて、余裕がない人は嫌だと思っていた。

私は現実を知らないただの子供だった。

 

やはり心穏やかな人でありたい。

生きている限り、この思いはずっと続くのだろうと思う。 

素敵なひとになりたい。

ごちそうさまでした、と店をでた。

 

【展示会】「とんぼ と のりしろ」(杉戸洋)

 

「抽象と具象を行き来するような作品。」

 

そう紹介されている杉戸洋という人の作品が気になり

上野の東京都美術館で行われている展示会に足を運んだ。 

www.tobikan.jp

 

 

あそびごころと、

バランス感覚と、

それと喪失感を持つ人。

杉戸さんの作品を見ていて、そんな印象を受けた。

 

深みのある赤や青、緑とバランスよく崩れたモチーフは

観ている人を違う世界へ引き込む。

次から次へ目移りするファンタジックな世界。

絵画の表面のザラつきや凹凸、筆の向かう方向から、

描かれている空間やものを感じる。 

目の前にある物との戯れに没頭する無垢な作者の遊び心に

自然と微笑んでしまう。

 

その世界に突如現れる写実的な光景と色のないパーツ。

ファンタジックな世界に入り込んでいたのに、

突然現実の世界に引き戻される。

現実の世界に引き戻されると、

ただ虚構感と喪失感にかられる。

 

 

【映画】恋せども、愛せども(監督:堀川とんこう)

「恋せども、愛せども」

唯川恵の小説を映画化した作品。

色々な理由からとある女性に育てられることになった二人の姉妹。

姉妹といえども、父・母が違う、性格も真逆な二人。

姉妹、姉妹を育てた母、そしてその母の母。

大人の女性、4人の生き様を描いた作品。

 

「ども」

この接続助詞がこのお話の結論、そう思う。

ヒットドラマのような綺麗なハッピーエンドは、現実の世界ではそう多くない。

みんないろんな事情があって、

それでもその中に自分なりの意味を見出しながら今日を生きる。

その積み重ねがきっと人生なんだろうな、と最近思う。

この映画に出てくる女性は、

現実を受け止め、

自分のために、今日を生きている。

現実を受け止めることも、

自分のために生きることも、勇気がいる。

 

まっすぐな思いが報われないことがわかっていても、

自分の思いを一番に、直向きに恋をする、愛する、取り組む。

そんな女性を描くこの映画は、

世の中の女性をそっと勇気づけてくれる。