週末美術部員

素人の美術だより。

日曜日の夕方に思う@cafe清澄

 

日曜日の夕方、忙しさから少し余裕がなくなっている自分を緩めにいつもと違う個人経営のカフェに出かけた。

 

個人経営のカフェには、軽やかなピアノの音楽が流れていて、日々の雑踏を忘れさせてくれるようなゆったりとした時間が流れている。

朝6時に目覚ましをかけて、心を仕事だけに傾けて慌しく家を出て、夜デロデロになって帰る、そんな日々が遠い昔に思える。

 大学の頃、一年間休学してロンドンに留学していた。ロンドンのカフェでただ静かに時間を過ごすことをよくしていて、その時間を思い出した。

 その頃は、余裕のない人をみて、あんなひとにはなりたくないと思っていた。自分はそんな人間じゃない。そうおもいながら、生きていた。

 気がつけば、自分も余裕のない人間になっていた。自分でも驚くほど、心が狭くなっていた。

ロンドンにいたころの自分は、物理的にも精神的にも余裕があった。学生の身分で、誰に咎められるわけでもなく、ただ息をしていた。必死で毎日を、生きている人をみて、余裕がない人は嫌だと思っていた。私は現実を知らないただの子供だった。

 

やはり心穏やかな人でありたい。

生きている限り、この思いはずっと続くのだろうと思う。

 

素敵なひとになりたい。

ごちそうさまでした、と店をでた。

 

【展示会】「とんぼ と のりしろ」(杉戸洋)

 

「抽象と具象を行き来するような作品。」

 

そう紹介されている杉戸洋という人の作品が気になり

上野の東京都美術館で行われている展示会に足を運んだ。 

www.tobikan.jp

 

 

あそびごころと、

バランス感覚と、

それと喪失感を持つ人。

杉戸さんの作品を見ていて、そんな印象を受けた。

 

深みのある赤や青、緑とバランスよく崩れたモチーフは

観ている人を違う世界へ引き込む。

次から次へ目移りするファンタジックな世界。

絵画の表面のザラつきや凹凸、筆の向かう方向から、

描かれている空間やものを感じる。 

目の前にある物との戯れに没頭する無垢な作者の遊び心に

自然と微笑んでしまう。

 

その世界に突如現れる写実的な光景と色のないパーツ。

ファンタジックな世界に入り込んでいたのに、

突然現実の世界に引き戻される。

現実の世界に引き戻されると、

ただ虚構感と喪失感にかられる。

 

 

【映画】恋せども、愛せども(監督:堀川とんこう)

「恋せども、愛せども」

唯川恵の小説を映画化した作品。

色々な理由からとある女性に育てられることになった二人の姉妹。

姉妹といえども、父・母が違う、性格も真逆な二人。

姉妹、姉妹を育てた母、そしてその母の母。

大人の女性、4人の生き様を描いた作品。

 

「ども」

この接続助詞がこのお話の結論、そう思う。

ヒットドラマのような綺麗なハッピーエンドは、現実の世界ではそう多くない。

みんないろんな事情があって、

それでもその中に自分なりの意味を見出しながら今日を生きる。

その積み重ねがきっと人生なんだろうな、と最近思う。

この映画に出てくる女性は、

現実を受け止め、

自分のために、今日を生きている。

現実を受け止めることも、

自分のために生きることも、勇気がいる。

 

まっすぐな思いが報われないことがわかっていても、

自分の思いを一番に、直向きに恋をする、愛する、取り組む。

そんな女性を描くこの映画は、

世の中の女性をそっと勇気づけてくれる。

 

【映画】百円の恋 (監督:武 正晴)

 

主人公はでもでも私なんか系女子、

だった。

 

「私は、勤め先の百円コンビニに並んでいる商品と同じような軽い存在なんです。」とかでもいいそうな底なしの自信のなさを一子(主人公)から感じる。

そうはいっても、自分を全否定できるほど自尊心がないわけでもない。

今すぐにでも纏めあげたいほどごわついた長い髪、

クッションのような丸みを帯びたお腹周り、

出戻りの妹との喧嘩をきっかけに一人暮らしを始めた一子は変わり始めた。

 

一子は、痛みから逃げなくなった。

痛みに向かっていくようになった。

ボクシングを始めた。

男にしがみつくことも、

自分なんかと卑下することも、なくなった。

 

それでも、やっぱり痛かった。

髪もお腹周りも すっきりしたのに、

軽々と動けるようになったのに、

やっぱり殴られると痛かった。

 

「やっぱり私は弱い」

そう言える人間が一番勁い。

【映画】今度は愛妻家

 

 

 

妻の存在を当たり前に思いやりたい放題やっていた夫。

その夫が突然妻を失い、妻の存在の大きさに気付かされるというストーリー。


今度は愛妻家 予告編

 

妻が亡くなった後にその大切さに気付いた夫、

なくなって初めて夫が自分のことを大切に思っていたことを知った妻。

この映画は二人の行き場のない思いをそっと撫で下ろす物語だった。

2つの行き場のない感情が漂うシーン。

主人公ふたりの気持ちには言葉では寄り添えず、

感情でしか寄り添う方法はないように思った。

 

 

失うべきものを失うことは、受け入れられる。

失う必要がないもの、失うべきでなかったものを失うことは受け入れ難い。

 

 

 

【習い事】油絵第1作目、完成しました。

 

油絵、第1作目が完成しました。

 

f:id:iimono-to-kurasou:20170715032250j:plain

 

どこまでで完成とするのか迷いましたが、

第1作目はここで完了としました。

最後の仕上げでガラスの重厚感をアップさせることができ、

その点は満足しております。

 

 

次に描くものは何にしようか考えているのですが、

あまり描きたいものがないことに気づきました。

描く作業が好きなだけで、

描くものにあまり興味がないのかもしれません。

 

写真を撮る過程に興味がある、

出来上がった写真にあまり興味がないと言っていた友人の言葉を思い出しました。

 

絵を描くこと、写真を撮ることは、

自分の輪郭を確かめる作業であると私は思います。

自分が目にしているもの、被写体の輪郭をなぞり直すと自分の癖が見えて来る、

そんな気がしています。

 

ずっと何かを描きたいというモチベージョンが自分にはあるのかと思っていたのですが、どうやら少し違うみたい。

 

やって見ないとわからないものですね。

 

【映画】あん(監督・脚本:河瀬直美)

 

 

竹籠の網目とすり合う小豆、

ぐつぐつぐつと静かにひたすらに煮立つ小豆、

主人公に手一杯掬い上げられた水飴

 

いつだって食べ物の映像は、

じんわりと幸せを伝えてくる。

それ以上でもそれ以下でもない深い幸せを感じる。

映画「あん」には誰にも奪うことのできない幸せが描かれている。

 

まだ若くて「幸せ」を奪われたばかりの主人公に、

奪われない幸せについて、餡を通してお婆さんはそっと伝える。

ハンセン病患者として若い頃からずっと「幸せ」を奪われ続けていたお婆さんの

幸せは、誰の手にも掛けられないほど高くて、掴もうとしてもつかめない。

むしろそれを掴むことは意味のないこと。

それは特別なものではなくすべての人の隣に、そこにいつでもあるものだから。

 

そこにあることに気がつくことができれば、

もう誰にも幸せを奪われることはない。

そう勇気付けられる映画だった。

 

掴むから、手放すのが怖くなる。

そこにあることを感じられれば、消えてなくなることはない。